おお。こんな意味があったなんて初めてしりました。
埼玉県、山梨県、長野県の三県が境を接する甲武信ヶ岳(こぶしがたけ、奥秩父)に源を発し、秩父山地の水を集めながら秩父盆地まで東に流れる。秩父盆地から長瀞渓谷まで北に、その後東に流れて大里郡寄居町で関東平野に出る。熊谷市で南南東に向きを変え、川越市で入間川を併せる。戸田市近辺で再び東流、埼玉・東京の都県境を流れ、北区の新岩淵水門で隅田川を分ける。その後再び南流し江戸川区で東京湾に注ぐ。
源流の定義
この川の源流は、2つの説がある。一つは、秩父湖の少し上流の滝川と入川の合流地点。確かに地形図や地図を見れば、ここから上流の川に「荒川」の文字はない。もう一つは、上記の様に甲武信ヶ岳の埼玉県側の山腹、標高1,990mの所にある「真の沢」が源流という説(但し、荒川源流の石碑は入川がそれぞれの沢に分かれる地点にある)。
荒川開発史
荒川は、江戸時代初期以前は、現在の元荒川の川筋を通り、つまり現在の埼玉県の平野部を東に下り、武蔵国と下総国の境あたり、今の越谷市・吉川市の周辺で当時は南流していた利根川と合流して、それ以南を合流と分流を繰り返しながら江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川だった。また、しばしば川筋を変え、利根川と合流した本流が今の綾瀬川を流れていた時代もあり、戦国時代に水路が掘られて、東の星川に繋がれ、綾瀬川と分流した
。「荒」という名の通りの暴れ川だったため、下流域の開発は遅れていた。 寛永6年(1629年)に、関東郡代の伊奈忠治らによって現在の熊谷市久下で河道を締切り、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるようになった。元の河道は、熊谷市で荒川から離れて吉川市で中川と合流する元荒川となっている。同時期の工事で利根川は東に瀬替え(利根川東遷事業)して渡良瀬川、鬼怒川に合流するようになった。付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を通っていた。この部分は台風で大雨が降るとしばしば溢れて江戸(後に東京)の下町を水浸しにした。荒川下流は流速が遅い。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市での最高水位時と川口市の最高水位時の差が48ないし60時間あった。洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋と農作物の被害は深刻であった。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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